記録。

めも。

期待を超えるためには自身であるべき姿を描く必要があった

※自身の最近の反省をつらつらと書きました。

エンジニアリングマネージャー的なロールになり、エンジニアを評価する側になり、CTOの期待以上に働けている人とそうでない人の違いはなんなんだろうと考えていた。

期待以上に働くためにはあたり前だが、その人の想定している範囲外のアクションや成果が必要だったりする。

その人の想定している範囲内での活動では期待を超えることができない。

期待を超えて働くためには、時間軸を今まで以上に長く持ち自分の中であるべき姿やWillを描いて実行する必要があると思う。

私は、去年の1年間エンジニアの評価制度を作成して導入したり、1on1をはじめてみたり、目標設定を導入して運用したりしていた。(今、すでに終わっているわけではなくてまだまだ改善の途中である)

今日まで走ってみて期待を超えるというところまでは至っていないと思っている。

この活動が理想通りに行っていないところはもちろんあるが、これらの活動に留まってしまったということが問題だと思っている。

これらの活動はもともと、エンジニアリングマネージャーを始めるときに期待値調整的に話したことだからだ。

活動1つひとつの質をかなり上げて、成果にも現れてくれば期待を超えたと言えるかもしれないが、エンジニアリングマネージャーとして本当にそれでいいのだろうか??

なぜこう思うのかというと、これらの活動というのは、エンジニアリングマネージャー目的・ミッションである組織のアウトプットを最大化するためのアプローチの一部を最適化しているに過ぎないからだと最近思っているからだ。

エンジニアリングマネージャーとして本来のミッションを追うために、組織全体に対してもっと大局的に自分なりのあるべき姿を持つ必要があった。

そして、それを周囲にぶつけながらも前進させなければならなかった。

描くだけはできるかもしれないが、ぶつけるということは自身も批判されたりと痛みを伴う。

そのような痛みもあるし、大局的にあるべき姿を描いて実行するということは大きな責任も伴う。

だから自身で腹をくくるというイベントがないと大局的に描いて実行することができない。期待を超えるスタート地点に立つことができない。

時間はかかったが、最近腹をくくることができた。動きも変わってきた。(むしろ変えたと言ってもいい。)

腹をくくることができたことで、期待を超えるために必要なことがどんなことなのかに気づくことができた。